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第64回大阪府吹奏楽コンクール北摂地区大会

  • Webmaster
  • 8月17日
  • 読了時間: 4分

2025年7月30日(水曜)、第64回大阪府吹奏楽コンクール北摂地区大会が豊中市立文化芸術劇場で行われ、高槻中・高等学校吹奏楽部は銅賞を受賞しました。


コンクール当日は快晴、大阪の最高気温は37.7℃を記録、例年にもまして暑い一日となりました。


現役生たちは9時には学校に集合、最後の合奏を行ってから、楽器積み込みに入る予定…でしたが、ここで阪急宝塚線に運行見合せの情報が。9時16分に起きた人身事故により、会場最寄駅の曽根駅を含む大阪梅田~豊中間が運転見合わせになったのです。

結果11時50分頃に運転は再開されましたが、13時頃に会場集合予定だった高槻にとっては、運行再開が読めない中、出発時間などの変更を迫られることになりました。


私は運転再開直後に梅田駅から会場に向かいました。時間的に私が先に会場に到着しそうでしたので、顧問の先生方と電車の状況を報告しながらの移動となりました。


そして13時頃に会場に到着。

係の人に確認すると、コンクールの進行も遅らせているとの事。プログラムの途中から1時間遅れ、さらに途中からは休憩を短縮しての30分遅れの進行となり、中休憩も予定とは異なるタイミングでとられていました。学校によっては、会場到着後程なくリハーサル室にせわしく移動したところもあると聞きました。


会場を歩いていると顧問の澤木先生とお会いしました。早めに到着したので打楽器搬入の動線を確認していらしたとの事。その後、武部先生はじめ車で移動の先生方とも合流。お手伝いの同窓生も駆け付けてくれました。


現役生たちは、予定を30分ずらして13:30頃に会場に到着。控室に荷物を置き、程なく到着したトラックから打楽器や大型楽器を会場に搬入します。


搬入後、管楽器パートは音出しの準備に、打楽器パートは舞台裏でチューニングしながらの待機に移ります。


今回は楽器運搬のお手伝い人数が少なめ(OBOG5人)だったこともあり、私は打楽器パートに帯同することになりました。出場しない中学生(8人)や顧問の先生方(4人)も総出で打楽器を運びます。


高槻は全23校中のプログラム17番。13番の春日丘高校が終わると同時に、打楽器パートは舞台袖上手側に入ってスタンバイします。壁一枚隔てたステージでは本番の演奏中、緊張感に包まれた舞台袖では、各校最後の打ち合わせや確認が行われていました。

プログラムの進行に合わせ、隊列を整えながらジリジリとステージ入口に近づいて行く中、プログラム15番の辺りで、マリンバ、チャイム、ハープなど一部が搬入しやすい舞台下手にまわりました。そして程なく、高槻の管楽器パートが舞台袖に入ってきて合流。

プログラム16番の関大中高の演奏が終わり、いよいよ高槻の出番です。セッティングも滞りなく終了し舞台が明転、15時50分、高槻のコンクールが始まりました。


課題曲は Ⅰ の「祝い唄と踊り唄の幻想曲」、自由曲は「歌劇《トゥーランドット》より」。

静かに始まる課題曲に、舞台下手に集まったお手伝いの17人全員が耳を傾けます。舞台袖はモニターはあるもののステージ上のみんなの顔までは分かりません。心の中でフレーズを一緒に歌いながら、祈るような気持ちで演奏に聞き入ります。最後はトゥーランドット最高の盛り上がりの中、無事に演奏は終了しました。


演奏終了後、現役生たちは写真撮影室に向かいます。本番終了の解放感からかみんなの笑顔が弾けます。

同時に打楽器群は搬出口からトラックへの楽器積込の準備に移ります。打楽器の積込後、会場を出るトラックへの「ありがとうございます!」の一斉挨拶を見届けてから、私は会場を後にしました。


その日の夜に発表があり、結果は銅賞でした。昨今のコンクールでは明らかに?という演奏がほとんどありません。ほんの少しのことで成績が変わることもあると思います。

現役生たちは悔しい思いかもしれません。しかし目標に向かってみんなで一丸となって努力した経験は、後に必ず生きてくると思います。この思いと経験を胸に、前を向いて頑張って欲しいと思います。


夏休み明け、現役生の皆さんのいつもの元気な笑顔に会える事を楽しみにしています。



【文責】

中村大介

(1994年卒業46期・吹奏楽部5期)




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